農園・生産者について

吉野ヶ里遺跡

天然記念物さざんか自生区域

天台宗修学院

霊仙寺跡

吉野ヶ里 あいちゃん農園はこんなところです!

吉野ヶ里 あいちゃん農園はこんなところです! 「あいちゃん農園」は
福岡県那珂川町のお隣、佐賀県吉野ヶ里町にあります。
国道385号沿いに福岡市南区から那珂川町、東脊振トンネルを抜けるとそこは吉野ヶ里町。
卑弥呼伝説・吉野ヶ里遺跡で有名な佐賀県吉野ヶ里町北部の里山で農園を営んでいます。
弥生の時代より、2000年の歴史に守られた清らかな里山。 修験道の行者の道場であった神聖なる「背振山」、天然記念物である「さざんか」の自生区域、日本茶の発祥地「霊仙寺跡」、歴史と文化に溢れた町です。

営む農園は昔ながらの「棚田」(段々畑)であり、気持ち良い風が毎日吹き抜けます。
背振山から流れ出た清らかで美しい岩清水、誰が見ても心和む環境で育つ作物は、
彩美しく健康そのものの野菜や米を育ててくれます。
しっかりと野菜の味がする「濃い味」のお野菜はインターネットを通じて注文を受け、
全国のお客様の下へ直接お届けしています。

生産した作物は、インターネットを通じてホテルや外食産業の飲食店様から
全国のご家庭まで幅広くご注文を頂いています。
また、ふるさと納税においてもあいちゃん農園のお野菜は全国でもトップランキングに位置する
人気の返礼品として選ばれています。
吉野ヶ里のマチュピチュとも呼ばれる、高台の展望台を有す「道の駅吉野ヶ里 さざんんか千坊館」内では
農園レストラン「味彩さざんか あいちゃん農園」を運営
佐賀市の公共施設「どん3の森アバンセ」内では農園レストラン「kitchenあいちゃん農園」と
2店舗の農園レストランも運営しております。
採れたての新鮮なお野菜を斬新な調理法で美味しく食べて頂いております。

道の駅吉野ヶ里から見える吉野ヶ里の眺望

フォレストアドベンチャー吉野ヶ里

山茶花の湯 | 東脊振温泉

味彩さざんかあいちゃん農園
道の駅吉野ヶ里さざんか千坊館内

Farmers' Kitchen & Marche
あいちゃん農園 佐賀市アバンセ店

あいちゃん農園のお野菜は私が育てています!

農園主の「森田浩文」です。

波乱万丈の半生を歩いてきました。かつては、企業再生というとても過酷な仕事をこなしていました。投資業を通じて様々な業種に関わる中で、人生で起こり得る大半の経験をさせて頂きました。リーマンショック、金融システムの崩壊、まるでドラマのような出来事が繰り返される中、心も体もズタズタになった時期もありました。 重い病で「命の期限」を告げられたこともありました。 経営した会社も破たんし、病にも侵され、全てを失い絶望の淵にいるとき、母(あいちゃん)から贈られた野菜と米を愛娘と食べて、もう一度立ち上がることが出来ました。 命を与える農業の偉大さを痛感し、農家としての再チャレンジ。 故郷から授かった自然のパワーに助けられ今を生きています。 「朝日は昇り、花を咲かせる。」 私が生き抜く事が出来た心の支えです。 この言葉を胸に刻み、背振山の麓の棚田、昔ながらの農法で、野菜達を育てています。

人生年表

H8年 H8年(下積み時代)
昭和48年、佐賀県神埼郡東脊振村(現吉野ヶ里町)に生まれる。
大学時代、多くのアルバイトや仕事を経験しながら世の中を学ぶ。
次第に、法律家を志すようになる。以後、5年の受験生活を過ごすが、結果、夢破れる。
H12年 平成12年(法律家志願時代~起業家へ)
司法書士事務所でサラリーマンの傍ら、夜は飲食店で働き資金と人脈を作り上げる。
昼は事務所職員、法律の勉強、夜は水商売と三つ巴の生活を過ごす。
その最中、金融と企業再生専門のコンサルタントとして起業する。
法律と経済知識を駆使した独自M&A手法を構築する。
H14年 平成14年(余命宣告~闘病時代)
脳腫瘍を発症。医師から余命2年の宣告を受ける。その後、「三途の川」を垣間見るも奇跡的に回復。
リハビリ生活を乗り越え、もう一度企業家として立ち上がる!
H15年 平成15年(事業再生時代)
副作用・麻痺と向き合いながら、もう一度金融コンサルタントとして復活。
その頃、投資ファンドバブルが日本を席巻。時代の波に乗れた為、業績も大幅に回復しはじめる。
H18年 平成18年(ファンドバブル時代)
企業買収(M&A)、不動産開発への投資、株式上場を視野に企業買収(M&A)に携わる。
H21年

平成21年(リーマンショックから破綻~絶望の道から農業へ)

リーマンショックに端を発する金融危機の影響で大企業の倒産劇に巻き込まれ廃業。それと同時に、立て続けに起こる多くの悲劇に遭遇。病から生還したことすら悔やまれるほど波乱で、絶望の淵に立つ。

資本主義の限界、地球環境の異変等々を鑑み、「資本主義から、自然主義」そして、命を繋ぐにはお金でなく「食」が全てである事を痛感。再起の道として、食を生み出す「農業」を志す!

H14年に生かされた理由を求めて、故郷の佐賀県吉野ヶ里町に帰還。全くの未経験者ながら、耕作放棄地を開墾。
有機物を利用した無化学肥料栽培を理想とする農園「吉野ヶ里あいちゃん農園」を開園。

しかし、就農半年後、突然の痙攣発症。再び脳腫瘍に倒れる。入院・手術を経験するも、今度は後遺症も無く復活。
「人間は、簡単に終わらない・・・」と、心の強さこそが運命を切り開く事を確信。

H23年

平成23年(吉野ヶ里あいちゃん農園開園)

農業生産法人「株式会社吉野ヶ里あいちゃん農園」を設立。六次産業化にも取り組み、自らシェフとして「農園レストランkitchenあいちゃん農園」もオープン。「生産する八百屋」と称して、馴染みある野菜から、イタリア野菜・東南アジア、世界の野菜までも網羅した年間300品種を栽培。

1,000軒を超える関東を中心とした個人宅、ホテル、飲食店と取引し、新しいスタイルの次世代型農業として、テレビ新聞といったマスコミの注目を浴びる。

H27年

平成27年~現在

佐賀市天神に佐賀県男女共同参画センター「アバンセ」1階に農園レストラン「Farmers'Kitchen&Marcheあいちゃん農園」オープン。栽培面積も5㏊まで開墾し、生産から流通、加工(調理)、販売まで一貫した農業六次産業化のビジネスモデルを構築。農業分野以外にも、経営経験、闘病経験、地域作りなど幅広い経験則を求めて、多方面からセミナーや講演会の依頼も受けている。

これまでの経験を活かした農業を通じて、吉野ヶ里の自然の中、生かされた価値を探る日々である。